茂木健一郎の記事

ギャップイヤー
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/04/post-8f35.html


就職の時にそれを考えていた。で諦めた。社会がそれを許さないから。

大学へ行くのも現役でなければいけないし、就職するのも現役でないといけない。


納得いくような選択に巡り合えたから、現役で入学して就職した。巡り合えなかったら、取り残された。人からは確実にそう思われるし事実取り残されるし。そのような評価は受け入れるしかない。


狂ったように受験して狂ったように就活して、いま社内では狂ったように新入社研修が行われている。




狂っているな―と思いつつ、流れに乗らなければいけなかったから無理してでも乗ろうと思った。そしたら無理なく乗れた。



去年ある人に言われたのは「その波に乗れたことは幸運なこと、どんなに努力してもその波に乗れない人がたくさんいるんだ」と。


その波は必要か?双方にとって有益か?




大衆って狂気だ。いつもいつも軽蔑しているけれど、大衆は強いし大衆は正統だ。
大衆に従えなければ異質なものになる。

常識は大衆が作る。法律だって大衆が作る。

大衆を左右できるものがある。
情報。

インターネットが普及している現代でも大衆はマスメディアが左右できる。
一部の誰かが発信する情報。


狂っていると思っていても表面上は従わなければいけないのが大衆だ(疑問にさえ思えないこともある)。

知らない間に知識として定着してしまうのが
誰かが作った情報。





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情報も時が経てば歴史になり。
作られた情報は作られた歴史になる。

過去をさかのぼって作った情報は、
過去をさかのぼって作られた歴史になる。


それは古代から変わらない。
歴史は後の人間が都合のいいように作り変えるものだ。

しかし筋が通らない歴史は訂正されるだろう。
また、他国の歴史に手を出してはいけない。
それは絶対に。