ひと段落

反韓の動きがネット上で大きいみたいだ。
反韓の念を抱くときは事実を隠していたマスメディアへの失望もセット。
自分の場合は先に政治不信があったけど。


潜在的に敵視政策がされている国と友好的に接しようという方針には無理がある。日韓W杯や韓流ブームの陰で親日への社会的な制裁と法律の制定がある。生の声が一番分かりやすい。
紛れもなく韓国は反日国家。国を挙げて。





日本では逆で反韓はタブーであり黙殺。親韓でなければ社会的に浮いてしまう。隣人なのだから仲良くしようとするのはとても真っ当なこと。でも相手が同じ思いであることが大前提。


反韓はもともと根底にあるものだけれど、今盛り上がっている、表立ったこの反韓は少し様子が違う。と思いたい。


日本人が今頃になってようやくアイデンティティを持ったんじゃないだろうか。少なくとも自分はそうだ。

もう戦後っていうだけで戦争の責任ってだけで、無闇に自己否定するのはやめよう。中身も知らずに完全悪だと断言するのはやめよう。当時の何を知っているのだ。

戦争が悲惨なものだった。とだけ知っている。
祖父は戦争に行っているから、きっと人を殺しているんだよ。やむを得ずか進んでか。

それをおおざっぱな戦争責任から何も知らず否定することが意味するものは?

正当化するのも否定するのも問題。

まず正しく知らなければいけない。
でももう知るチャンスは殆ど残されていない。
もう60年以上経ってしまった。知っている人が死んでゆく。

正しい歴史が何なのかそれすら揺らいでいる。
歴史は作られる。真実が自分たちに不利なように外圧によって意図的に作られているとしたらどうか。現にマスコミや学校教育は自己卑下させるように誘導してきた。

間違った主張も千回(いや百回くらいでも)繰り返せば真実にすり変わる。
そんなことは許されないけれど、現実は違う。



世代が変わろうとしている。

不安だ。
どうなるんだろう?


ということを考えていてまた病みだした。。