NHK こだわり人物伝
森有正「還っていく場所」
前回は高田渡
今回は哲学者 森有正
知らない人だけどw
後半だけ偶然見た
自分が考えていたことと共通するものが多かった
孤独、絶望とは当たり前のように存在するものであって、排除しようとするものではない
孤独、絶望とは人間が最後に行き着く究極的な孤独である「死」のほんの一欠けらの先どりある
現代は会話するにも電話やメールなど多様な外的コミュニケーションが行われているが、内面との(内的)コミュニケーションこそが人を作り
人が主体的に生きていく上での原動力になる。己を持った人に育つということは孤独や絶望と向き合うということ。
日ごろからある程度、内的コミュニケーションをしていないと不意にやってくる身近な死や不安や孤独、絶望に耐えられない。
孤独はそれ自体が独立している。
独立した感覚にその他の感覚での説明はできない。
純粋な綺麗という感覚にそれ以外の情報が要らないように(誰かが綺麗と言っているから、一般的に綺麗だから、綺麗の条件を満たしているからなど)
孤独にも孤独であること以外の情報は不要である。純粋なものだ。
生きることも死ぬことも、孤独という感覚も純粋であるべきだ。
勿論美的感覚も。
感じるということは本来すべて独立しているはずである。
しかし情報を共有することによって普遍化が進み、独立しているはずの感覚は不純な感覚になり、独立していること孤独の感覚への卑下が生まれた。
孤独とうまく向き合えない人たちは、強制的に他と共有し同化することで孤独を一時的に忘れるが、やがてそこから歪みが生じ途中で孤独に潰されるかあるいは己を持たないまま無為に生きる(それはとても楽しいことかも知れないが)。
孤独を怖がったり排除しようとする人は、最後には孤独の発信源である死が待っていることに気付かないといけない。
やがて死に至る生を豊かに生きる気でいるのならば、孤独に怯える必要がどこにあるのだろうか。
がんばって書いてみたw自分の考えを書き出してみただけです。
森有正さんの本読んでみよう。本は嫌いだけど。